
<オオカミベンチ>
この度、オオカミベンチ(Wolf Bench)を飯舘村の、ここ山津見神社に設置することになりました。私はこのベンチを制作したアーティストの鴻池朋子です。
この作品は、今年開催された大阪・関西万博2025 の大阪ヘルスケアパビリオン前に設置されたオオカミベンチ10 体の内の一つです。それらの作品は全て違う絵柄が描かれ、万博の終了後には私と縁のあった場所や人々へ無償で貸し出しされてゆく、というプロジェクトのもとに制作されました。こちらのオオカミベンチはS 字型の二人掛けで、二匹の狼がそれぞれ別々の方向を向き、尻尾で絡み合って一つのベンチとなっています。ボディには狐、兎、テン、アザラシ、狼などの動物たちが直にドローイングされ、それらのモチーフは私のアトリエにある古い毛皮のコートや剥製動物からヒントをもらい描きました。他の9 体のオオカミベンチも、現在、全国各地へと貸し出しされていっております。
一昨年くらい前から私は、自身の“作品を無償で貸し出す”ということを実験的にスタートしました。さらに、昨年の青森県立美術館の個展『メディシン・インフラ』展を期に、少し公に向けて、展覧会で展示した作品を小学校、図書館、ホスピス、公園など興味を持って賛同してくださる場所に預け、そこで展示をしながら次の展覧会まで保管してもらうということを始めました。「メディシン・インフラ」と名付けられたこの活動の、メディシンという言葉には「薬草」や「自己治癒力」、またインフラは「筋道」、「基盤」という意味があります。速く直線的に大量のものを目的地へ運ぶこれまでの高速道路のような急進的な移動インフラではなく、ゆっくり道草を食いながら、各々が自分のペースで新たな旅のルートを描いていくイメージで造語されました。
そもそも、なぜこのような“作品貸し出し”を始めたかというと、率直に、作品というものは、一緒に生活してみるのがいいと思っているからです。触ったり匂いを嗅いだり、共に太陽や風にさらされ、全身のセンサーで感じることが、とても必要であると思います。作品とは目で見るだけでも、また言葉で解説するためだけのものでもなく、また、大きな公的予算の組める美術館や、経済的に優位なコレクターだけが、作品を持てるということでもありません。私は、自分の作品を「所有」や「交換」という経済サーキットから一旦外にだし、なおかつ作品を介して、人間や人間以外のものも含めた、周りとのエネルギー交換がさらに活発になっていってほしいと思いました。
また昨今の異常気象、地球規模での危機的な環境問題は、当然、私たちすべてのものの生存に根本に関わってきています。人が人間中心に社会を形成し、ものをつくってきた事によって、地球が破壊されはじめているならば、人間はそのものづくりを一旦見直さなければなりません。アーティストだけが特権的に作品制作を許されることでもありません。見方を変えれば、ようやく人間は人間以外の生物無生物と共に、地球を考えるスタートラインに立ったとも言えます。地上に生きているという事は永遠普遍ではなく、人も作品も動植物も山や川も歳をとり経年変化していきます。私はその当たり前な生の流れに、自分の仕事を素直に添わせたいと思いました。そのような流れからプロジェクトが始まり、ベンチのデザインも犬(狼)のような動物から形を借り、人間が座ると動物の形と溶け合って一体となる、人が座ることによって初めて完成する(共生する)作品となっていきました。まずは歩みを少し止めて、オオカミベンチに座ってみてください。誰でも座れますし、そこに性差も年齢も職業も思想も宗教も関係ありません。座ると居場所が生まれます。茫漠たる世界の中で、そこだけ小さな家のような、鳥が巣に戻ったような、感覚に包まれるのではないかと思います。
<指人形>
ここにある小さな指人形たちは、飯舘に棲むたくさんの「人間ではないものたち」です。何がきっかけでつくり始めたのか定かではありませんが、長い間この仕事をしていると、スタジオにはたくさんの素材の断片や材料の残りが積み重なって部屋の隅々に溢れています。壊れた工具、ガラス瓶、木材、布や糸、発泡スチロール、玩具、作品模型、動物の骨、草木の種、昆虫の死骸などなど、そういった何かの“残り物”たちを触って遊んでいると、なんとなく人形が出来上がってきます。自然にそう成ってしまった、のです。美術館などで展示する目的を持った作品ではなく、制作途中に出たゴミ、こぼれ落ちていった画材たちが集まってできたものです。そういうものたちは指人形の材料としてなぜかとてもフィットし、強度を持ちました。
指人形は眺めるものではなく、人間がその中に手を入れて指を動かしてみて初めて指人形となります。すると、まるで生命が宿ったかのように動きだします。それは食べられないし、お腹がいっぱいになるものではないけれど、なんだか面白くてやめられない、人間の「遊び」の始まりです。どうぞ優しく皆さんの手で使ってみてください。一緒に魂がブルブルと震えだすことを期待しています。
<地球のへそ、設置場所>
今回の万博で作品の貸し出しプロジェクトが固まってきた時に、オオカミベンチの作品の一つは、ぜひ福島の飯舘村に置きたい、と、これは迷いなく思いました。なぜなら、飯舘村はある種の地球の“へそ”のように思ったからです。そういう場所は繊細で、時間が経つと、また私たち人間によって掻き消されていってしまう恐れがあります。忘れないように、目印としてでもベンチをおく必要があるように思いました。
今回、私のプロジェクトに協力してくださったのは、震災以降に飯舘村に移住し、村内の放射線量を測定して客観的データをとり続けてきている、物理学研究をされてきた「ふくしま再生の会」の田尾陽一さんと、そのご家族でした。田尾さんとは、全国の国際芸術祭のアートディレクターをなさっている北川フラムさんを介してお会いしました。当初は、北川さんから「鴻池さん、ぜひ一度飯舘に行ってみてくださいませんか」といわれて、私はぼんやりとここにやって来たのです。
私が初めて飯舘を訪れた日、田尾さんは、まずは現時点での除染の様子を見に、長泥地区の立入禁止区域の前まで連れていってくださいました。その後に村の各所を車で案内してくださり、運転をされながらアスファルトの両側に盛られた土を指して、通る道すべての放射線量を細かく教えてくださいます。すると木々に覆われた緑の野山が、また違うレイヤーを持って立ち上がってきます。科学は目に見えないものの存在を、数値化し可視化することで、問題に対処し恐れを克服してきました。けれどもこの測定は、果てしない。粛々とこの作業を積み重ねていく人々の姿と、物言わぬ野山の生命が重なります。
ご家族の伊津子さんからは、生活に密着したお話、近隣の方々の暮らし、昔から伝わる料理、山菜や庭の草花、世代交代していくお墓の供養のことなどを、美味しい夕食のご相伴に預かりながらお聞きしました。また淳さんには、震災後からこれまでの村全体での放射線量測定の活動や記録、作品展示やパフォーマンスなどをする図図倉庫、神社、天文観測所、古い石切場、除染が終わった場所に設立された立派なコミュニティセンター、その背後の白い目隠しフェンスで囲われた、回収した汚染土が入った緑色の袋が整然と並ぶ広大な仮置き場などへも連れていっていただきました。仮置き場といってもその後の行き先は誰もわかりません。便宜的な復活、再生という言葉は全く通用しない景色です。
最近再開したという牧場から牛肉を直で買って、美味しいステーキもつくってくださいました。長い時間かかって、完全ではないけれども牧場や農場の土が少しずつ元に戻り、そこに草が生え、その草を牛が食べ、育ち、美味しい肉となって私の口に入る、その美味しさはひとしおです。栄養となって私の体の一部となり、健康で大満足です。が、これからはその先を考えます。人間だけの満足、人間中心の思考で終わらないために、また、私の体も地球の一部として機能するように、次へバトンタッチする何かを考えるようになります。自分の作品も人々によってリレーし、バトンタッチしていける構造を持ったものにしたいと思いました。この様に、あらゆる当たり前の大切さを、改めて意識化してくれる飯舘村は、私にとってまるで自然の学校のように見えてきました。今でこそ地球温暖化と、それによる人間のエコロジー不安という問題で世界の研究が盛んになりましたが、飯舘は 15 年前の震災という未曾有の自然災害と原発事故による人災を被り、人間が地球にしてきた無謀なコントロールの実態というものに直面し、いち早くそのトラブルシューティングに具体的に取り組み、実験、実践してこられたのだと思います。私が飯舘という場所が地球の“へそ”みたいだと感じるのは、自然豊かな場所であり大きな災害があった場所であると同時に、それによって場の時間軸が変わり普遍性を帯び、人間界と自然界の結界のように感じるからと思います。
<地図と巡礼>
今年の 5 月の初め、淳さんと私は虎捕山に登りました。オオカミベンチの場所をどこにするか考えるなら、オオカミ繋がりということで、狼を祀っている山津見神社の本宮のある虎捕山の、神様のいる頂上へまずは登ってみようということになりました。五月晴れの大変気持ちのよい朝で、頂上の平たい大きな岩の上で足を投げ出し座り、遥か飯舘村の山の稜線を見渡して話しているときのことでした。谷から噴き上げてくる風に樹々の葉が細かく光って、あまりにも気持ちがよいので、ふと、現実の景色の横に、ある“ビジョン”が見えてきました。何か小さな雲のような白い塊が、向こうの山の稜線をひょいひょいとリズムよく渡って行っています。樹々のてっぺんで止まって、また次の樹のてっぺんへと移動する動きです。その動作は誘導しているようであり、何かの道の軌跡を暗示しているようでもありました。ビジョンというのは、実際に目に見えている景色と、同じ瞬間に、実際に目には見えてはいないけれども、遠い遠い彼方でキャッチしたデータを、額のあたりに投影されているような、同時に二つの動画を見ている感じです。
その時、オオカミベンチは、何か神様が村を移動していくような、その動きと連動するような設置がいいなと思いました。村の中で、今はここに狼の神様がいると思われるような場所に、結界を張るようにベンチを置いていく構想です。そのビジョンを言葉にして、私が淳さんへ説明していると、さらに新しい地図のようなものも見えてきました。神様の移動軌跡を追うような道筋で、現在の村の道とはまた少し違う、人間ではないものたちと共に描かれる新ルートの村の地図です。大きな震災を経た日本の神様は、タフになって新しい巡礼の道を辿っているのではないか、ともいえるかもしれません。虎捕山の頂上で、飯舘村におけるオオカミベンチの構想がまとまった瞬間でした。そして、例大祭という祭が 14 年ぶりに賑やかに開催されるというめでたい時に、ベンチを神社に設置させていただこうということになりました。
<カミサマの居場所 Where the wild things are>
ところで今、日本の「カミサマ」はどこにいるのでしょう?
ふと、そんな疑問が浮かんできました。日本古来の神様とは自然そのものです。つまり、温暖化する地球環境、昨今の異常な夏の暑さやゲリラ豪雨などを体験すると、四季はなくなっていくようで、それとともに日本の神様もどこかにいってしまったのではないか、と心配になります。また本来、祭とはそれまでは移動して獲物をとって生活していた狩猟民族が、大陸から来た農耕を取り入れて定住をするようになり、村という集団社会ができたことから始まりました。人間が集まれば病気や争いごとや様々なことが起こります。季節ごとに共同体内に堆積する穢れの浄化装置としてや、暴力の排除として祭は機能しました。神様とやりとりする手立てとして、祭は日本の自然と密接につながっていたのです。けれども季節が人間によってバランスを崩し、祭も観光利用され、どんどん形骸化していっています。そんな時、私は、神様は今どこにいるのかな?と考えてしまいます。
ここ山津見神社の神様は、もちろんこの山の上の本宮にいらっしゃる事になっています。けれども、もしも自然界の状況を、神様がとても憂えて心配されているのならば、神様は家に安堵してなどおらず、すぐに一番危うい場所に出向いて、しっかりとそこで私たち人間の行動を見て守っておられるのではないか、と思ったのです。14 年前に起きた大地震による自然災害と、その直後の放射能汚染という人災は、やはり日本の自然とこれまでの考え方が大きな岐路に立たされた日でした。よく経済的ダメージと言いますが、経済の始まりとなる交換とは、農耕による生産から始まり、その農耕の根幹を支える太陽や雨の恵みとは、自然界からの純粋贈与です。掛け値なしの、交換条件もない、見返りなしの、私たち人間への全く純粋な自然からの贈り物があってこその経済なのです。ここ飯舘の神様は、その大切なことを、また人間によって忘れ去られてしまわないよう、しっかりと守るべき場所、気づかせる場所に出向いていると思うのです。そう仮定してみると、オオカミベンチは、その神様の出張所と思われる場所に、目印や道標として設置するのが、ミッションとしても面白いのではないかと思いました。例えば、いま神様は除染が終わったばかりの地区の道の横の林で、見守っているような気もします。見えないものを無闇に恐れるのでも神格化するのでもなく、科学的に可視化し数値化するだけでも、また無いものとして排除し無視するのでもなく、ただそのまま感じる、ということを、弱い動物である人間は、全身全霊でしてきたように思います。
この例大祭が終わって年が明けたら、その神様のおられる場所を探して、オオカミベンチを移動していけたらと思います。現在の神様の居場所を、これからみんなで探していこうと思います。
2025 年10 月17 日 鴻池朋子



























